日清戦争・日露戦争の内容が区別できない人のために対照表を作りました。
条約や主要人物、戦った国など要点をまとめてあります。
まずはじめに、『清』は中国のことを指し、『露』はロシアのことを指します。
- 清=中国
- 露=ロシア
日本と戦った国は中国とロシアということになります。
日清戦争=日本 対 清(中国)
日露戦争=日本 対 露(ロシア)
日清戦争・日露戦争 対照表
日清戦争 | 日露戦争 | |
---|---|---|
いつ | 1894〜1895年 | 1904〜1905年 |
どこの国 | 日本と清(中国) | 日本とロシア |
戦った場所 | 朝鮮半島と周辺海域 | 満州と周辺海域 |
戦争の原因 | 朝鮮半島の支配権 | 朝鮮半島と満州の支配権 |
勝った国 | 日本 | 引き分け |
条約 | 下関条約 (場所:日本) | ポーツマス条約 (場所:アメリカ) |
下関条約 | ポーツマス条約 | |
いつ | 1895年、日清戦争の講和条約。 | 1905年、日本とロシア間で締結した日露戦争の講和条約。 |
重要人物 |
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内容 |
※遼東半島は後の三国干渉によって、清に還付される |
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日清戦争・日露戦争 簡易年表
年 | 月日 | 出来事 |
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明治27年 (1894年) | 2月15日 | 甲午農民戦争勃発 |
8月1日 | 日本、清国に宣戦布告 日清戦争勃発 | |
明治28年 (1895年) | 4月17日 | 日清講和条約調印 三国干渉 |
5月10日 | 遼東半島還付 | |
明治37年 (1904年) | 2月4日 | 日本、対露開戦を決定 |
2月6日 | 日本は、ロシアに国交断絶を通告 | |
2月10日 | 日本、ロシアに対し宣戦布告を行う 日露戦争勃発 | |
明治38年 (1905年) | 1月22日 | 血の日曜日事件(第1次ロシア革命勃発) |
5月27日 | 日本海海戦 (日本の連合艦隊、ロシアのバルチック艦隊と交戦) | |
8月10日 | アメリカのポーツマスで、日露講和会議がはじまる | |
9月5日 | 日露講和条約調印 その直後に日比谷焼打事件 | |
10月16日 | 日本、日露講和条約を公布、さらに平和回復の詔勅を下す |
日清戦争・日露戦争の要点 対照表 まとめ
どちらの戦争も1年前後の短期間で終結しています。 日清戦争では日本が勝ちましたが、日露戦争では、どちらも国内の事情で戦争を続けることがむずかしくなって講和しました。
日露戦争は、1905年1月に起きた「血の日曜日事件」を機に第1次ロシア革命が起こっていたロシアは戦争継続が困難となり、日本もこれ以上の戦線の拡大と戦争の長期化は国力の限界を超えるおそれがあったため、当時、アメリカ大統領だったセオドア=ローズヴェルトに中に入ってもらい講和条約を結ぶことにしました。
日清戦争、日露戦争と言っても戦場は、自国ではなく朝鮮半島や満州で行っています。 これは、朝鮮半島や満州を支配下に置きたいという思惑がありました。
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