《平安時代の要点まとめ》覚えた方がいい小学校・中学受験の社会

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平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂

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平安時代のはじまり

794年 – 1185年

奈良時代の天平文化である仏教保護の政策などにより、仏教の僧や寺院の影響力が強くなる。

桓武天皇(かんむてんのう)
仏教勢力を嫌がり都を寺院の多い奈良県から京都府へと移す。
奈良の平城京から京都府の 平安京(へいあんきょう)へ。
桓武天皇の政権は、さらに東北地方に支配を広げます。

平安京(へいあんきょう)
794年、桓武天皇が京都府につくった都。
中国(唐)の都である長安を手本にして作った。


平安京に都を移してから約400年間は、政治の中心地は平安京だったので、この時代を 平安時代(へいあんじだい) といいます。


征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)
桓武天皇が東北地方の 蝦夷(えみし) とよばれる人々の反乱を収めるために武士に与えた職業。
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
征夷大将軍として東北地方の蝦夷の反乱を収めた。

仏教の変化

平安時代に入り、奈良時代の仏教とは違い、山奥で修行をする新しい仏教の考え方が広がった。

天台宗 (てんだいしゅう)
真言宗(しんごんしゅう)
最澄(さいちょう)
比叡山(ひえいざん、滋賀県)に 延暦寺(えんりゃくじ) をたてた。
天台宗 (てんだいしゅう)をひろめた。

空海(くうかい)
高野山(こうやさん、和歌山県)に 金剛峯寺(こんごうぶじ) をたてた。
真言宗(しんごんしゅう)をひろめた。

貴族

貴族
朝廷の政治を進めるために天皇から高い地位を与えられた豪族。

荘園(しょうえん)
貴族の所有する土地。
貴族は自分の土地を広げていった。
不輸の権(ふゆのけん)
貴族や寺社の所有する荘園には税をおさめなくてもよいという権利
貴族につごうのいい権利。
不入の権(ふにゅうのけん)
荘園への役人の立ち入りを拒否(きょひ)できる権利。


不輸の権と不入の権により貴族の荘園が、どんどん増えていきます。
すると朝廷の税収が減るので財政は悪化し、律令政治が上手くいかなくなります。


藤原氏

9世紀の中頃、藤原鎌足(ふじわらのかまたり、中臣鎌足のこと)の子孫の一族の藤原氏(ふじわらし) が、権力を強めます。

摂政(せっしょう)
天皇が幼いときや女性の天皇のときに天皇に代わって政治をする職業。
関白(かんぱく)
天皇が成人しても政治を行う権限がある職業。
摂関政治(せっかんせいじ)
天皇が幼いときは摂政として、天皇が成人したときは関白として行う政治のこと。


藤原氏の一族
11世紀の前半に 藤原道長(ふじわらの みちなが) と、道長の子の藤原頼通(ふじわらのよりみち)らの親子が権力をにぎっていた時代が、もっとも勢力が盛んでした。
藤原氏の者が摂政になり政治の実権(じっけん)を握り、天皇が成人しても藤原氏は関白(かんぱく)という地位になり実権をにぎり、政治を行いつづける、という手法で権力を強めました。

藤原道長::父
藤原頼通::子


藤原道長(ふじわらの みちなが)
道長の読んだ有名な歌
「この世(よ)をば わが世(よ)とぞ思ふ(おもう) 望月(もちづき)の 欠けたる(かけたる)ことも なしと思へば(おもえば)」
藤原頼通(ふじわらのよりみち)
平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)建てた。

前九年の役(ぜんくねんのえき)
東北地方で起きた戦乱。
朝廷が東北の豪族である安倍氏の勢力を弱めるために行った戦い。
安倍頼時と源頼義・義家が戦った。

後三年の役(ごさんねんのえき)
奥羽地方で争われた清原一族と源義家の戦い。

平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
京都府の宇治(うじ)に建てられた阿弥陀堂(あみだどう)。
十円玉に描かれている建物。

平安時代の文化

遣唐使の廃止と、国風文化
遣唐使の廃止
894年、菅原道真(すがわらの みちざね)が天皇に廃止をすすめた。
国風文化(こくふうぶんか)
遣唐使の廃止により、中国大陸の文化の影響が少なくなり、日本独自の文化が発展したこと。
菅原道真(すがわらの みちざね)
遣唐使の廃止の廃止を行い、その後、藤原氏と対立し太宰府(だざいふ)に追放されてしまいます。
かな文字
漢字を簡単にあらわしたり、漢字の一部を使ってうまれた。
ひらがな::漢字の形をくずして作られた。
カタカナ::漢字の へん や つくり などをもとに作られた。

かな文字を用いた作品
『土佐日記』(とさにっき)::紀貫之の作品
『古今和歌集』(こきんわかしゅう)::紀貫之の作品
『竹取物語』(たけとりものがたり)::紀貫之の作品
古今和歌集(こきんわかしゅう)
醍醐天皇(だいごてんのう)の命令で、紀貫之(きのつらゆき)が編集した。
寝殿造(しんでんづくり)
平安時代に貴族たちが住むようになった屋敷のつくり。
大和絵(やまとえ)
寝殿造りの屋敷の屏風(びょうぶ)や ふすま などに描かれた日本の風景の絵。
絵巻物などにも描かれた。

鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)
源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)

源氏物語
紫式部(むらさきしきぶ)によって書かれた物語。
朝廷での貴族の暮らしが描かれている。
枕草子
清少納言(せい しょうなごん)によって書かれた随筆。
日常生活や自然を観察して細やかな感情を表した。

平安時代の武士たち

武士
豪族や有力な農民たちは、自分たちの土地や財産をまもるために一族を武装させた。
こうして生まれた新しい身分のこと。

平氏源氏は武士の中でも特に強い力を持った。

武士の中には、朝廷に対して反乱を起こす者も出てきました。

平将門(たいらの まさかど)による反乱
平将門(たいらの まさかど)が関東地方で反乱を起こした。
朝廷は、ほかの武士の助けを借りて反乱を鎮圧する。
藤原純友(ふじわらの すみとも)による反乱
藤原純友(ふじわらの すみとも)が瀬戸内海の周辺で海賊らを率いて反乱を起こした。
朝廷は、ほかの武士の助けを借りて反乱を鎮圧する。

院政(いんせい)
藤原氏の影響力が弱まり摂政や関白としての影響力がなくなってきたので政治の実権を天皇に戻しました。
白河天皇は、位をゆずって上皇となった後も政治を行いました。
上皇の住む場所を院(いん)というので上皇の行う政治を院政といいます。

保元の乱(ほうげん の らん)
上皇と天皇の争いのこと。
崇徳上皇(すとく じょうこう) 対 後白河天皇。

後白河天皇には平清盛(たいらの きよもり)、源義朝(みなもとの よしとも)が、従った。
後白河天皇の勝利。

平治の乱(へいじのらん)
保元の乱での勝利の恩賞には差がありました。
平清盛::恩賞が多い。
源義朝::恩賞が少ない。
不満をいだいた源義朝が兵をあげ乱をおこしたが、平清盛らの軍に鎮圧される。

これにより、平氏の影響力が強まります。

平氏の台頭(たいとう)
平清盛(たいらの きよもり)は、武士の力を利用しようとする後白河上皇との関係を深めます。 1167年には、清盛は武士としては初めて(はじめて)の太政大臣(だじょう だいじん)になります。

武士の世の中へ

平清盛は、藤原氏がおこなった摂関政治のように、清盛の娘である徳子(とくこ)を高倉天皇(たかくらてんのう)の后(きさき)にし、生まれた子を安徳天皇(あんとくてんのう)にさせた。
こうして平氏の一族が政治の実権を得ていき、権力を強めていきます。

日宋貿易(にっそうぼうえき)
平清盛が行った中国大陸の宋(そう)という国との貿易。
今でいう兵庫県の神戸にあった大輪田泊(おおわだのとまり)という港を開き貿易をすすめていきます。
宋銭(そうせん)
中国大陸の宋のお金。
日宋貿易により、日本にたくさん入ってきた。
平氏の一族は全盛期に
「平氏にあらずんば 人にあらず」
(意味:平氏の一族でなければ、その者は人ではない。)
とまで言われるほど栄えた。


この平氏の横暴に不満を持ち、
1180年、後白河法皇の子の 以仁王(もちひとおう) は、平氏を滅ぼすように命令を下します。

以仁王の命令を受け、各地で武士たちが平氏をほろぼそうと兵をあげた。


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