交通の発達
五街道の整備
江戸の日本橋を起点に,東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道が整備され,問屋場が作られた。
問屋場(といやば)・宿場(しゅくば)
江戸時代の街道の宿。
東海道には53の宿場があり、東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)と言われた。
関所(せきしょ)
交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設。
主要街道には関所が設置された。
海上交通の発達
大量の荷物を運ぶため海上交通をつかった海運(かいうん)が発達した。
菱垣廻船(ひがきかいせん)
大坂と江戸を結んだ廻船(貨物船)
樽廻船(たるかいせん)
酒荷を輸送するために用いられた廻船(貨物船)
東回り航路
東北地方の太平洋側から、太平洋側を通り、大坂~江戸までをむすぶ航路。
西回り航路
日本海側の東北地方から、瀬戸内海を通り、大坂~江戸までをむすぶ航路。
江戸の商人である川村瑞賢(かわむら ずいけん)によって、東回り航路と西回り航路が開かれた。
徳川綱吉(とくがわつなよし)
5代将軍、儒学(じゅがく)を好み湯島(ゆしま)に聖堂を建てた。
生類憐れみの令をだした。
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)
徳川綱吉がだした極端な動物愛護令(どうぶつあいごれい)。
犬や猫などを殺生を禁じた。
犬を殺した場合は重罪(じゅうざい)にしたため、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれた。
新井白石(あらい はくせき)
6代将軍徳川家宣・7代将軍徳川家継に仕えた儒学者。
生類憐みの令を廃止するなど,綱吉時代の乱れた政治を改め、質の低下した金貨・銀貨の質をもとの質にもどした。
新井白石の政治を、正徳の治(しょうとく の ち)という
将軍・徳川吉宗の政治
徳川吉宗(とくがわ よしむね)
質素倹約(しっそけんやく)をすすめ、享保の改革を行った将軍。
享保の改革(きょうほう の かいかく)
幕府の政治を立て直すための改革。
新井白石の正徳の治を一部あらためて、質素・倹約をすすめた。
足高の制・目安箱・上米の制・公事方御定書を行った。
足高の制(あしだかのせい)
能力のある人材を登用するための制度。
目安箱(めやすばこ)
民衆の意見を聞くために設置した意見箱。
上米の制(あげまいのせい)
大名の参勤交代での江戸の滞在期間は半年にし、大名は石高1万石につき100石を幕府におさめさせた。
公事方御定目書(くじがた おさだめがき)
公正な政治や裁判をおこなうための法典(法律書)。
田沼意次(たぬま おきつぐ)の改革
田沼意次(たぬま おきつぐ)
10代将軍の徳川家治(とくがわ いえはる)のころの老中。
商業を重んじた政策(せいさく)をした。
株仲間(かぶなかま)の許可
商人に事業を独占できる株仲間の結成をみとめ、株仲間からの税(ぜい)を取った。
蝦夷地の開拓(えぞちのかいたく)
輸出用の品を増やすために行った。
長崎貿易(ながさきぼうえき)
海産物(かいさんぶつ)や銅を輸出し、金・銀を輸入しようとした。
印旛沼の干拓(いんばぬまのかんたく)
水害を防ぐことで米の収入を増やそうとした。
田沼の政治は、役人のあいだに賄賂(わいろ)が横行するようになった。
天明の飢饉(てんめいのききん)により、百姓一揆や打ちこわしがおこり、田沼は失脚(しっきゃく)した。
天明の飢饉(てんめいのききん)
1782年~1787年におきた全国的な飢饉のこと。
悪天候、洪水、浅間山(あさまやま)の大噴火によって、作物の不作がひどくなり、飢え死ぬ人が大量に出た飢饉。
松平 定信の改革
松平 定信(まつだいら さだのぶ)
寛政の改革を行った老中。
天命の飢饉のときに、商人から米や食料を買いあげて、農民に食料をくばるなどの方法で飢饉を切り抜けた。
寛政の改革(かんせいのかいかく)
天明の飢饉からの回復のために弱者の保護などの政策を行った。
帰農令(きのうれい)
江戸に出稼ぎで来ていた農民を農村にかえらせ、農民を農業に専念させた。
囲い米(かこいまい)
凶作でも飢饉(ききん)にならないように、米を蔵(くら)に蓄え(たくわえ)させるた。
人足寄場(にんそくよせば)
無職の人に対する職業訓練所を作り職業訓練をさせた。
棄捐令(きえんれい)
借金に苦しむ武士を救うために行った借金帳消しの政策。つまり徳政令(とくせいれい)。
積み金(つみきん)
緊急時のために貯金していく積み立て(つみたて)をした。
寛政異学の禁(かんせいいがく の きん)
聖堂学問所で朱子学以外の儒学の講義を禁止した。
寛政の改革の結果
厳しすぎる改革の内容が反感を買い,松平定信は6年で失脚した。
天保の飢饉(てんぽうのききん)
天候不良による全国的な飢饉。餓死者が続出し,一揆・打ちこわしが頻発した。
大阪の町奉行所の元・役人の大石平八郎(おおしお へいはちろう)が、町奉行に貧民の救済を申し出たが、町奉行に聞き入れられず、その上、大阪で買い占めた米を江戸に送っているという有様(ありさま)だった。
大塩平八郎の乱(おおしおへいはちろう の らん)
1837年
苦しむ人々を救済するため乱を起こすが一日ほどでしずめられた。
水野忠邦の改革
水野忠邦(みずの ただくに)
天保の改革を行った老中。
天保の改革
1841年
財政を立て直すため倹約令(けんやくれい)を出した。
人返し令(ひとがえしれい)
農民の出稼ぎを禁止し、江戸に住み着いた農民を村に返す法令をだしたがうまくいかなかった。
株仲間(かぶなかま)の解散
物価を下げるために行ったが失敗した。
上地令(あげちれい)
江戸、大阪周辺の大名などに土地を幕府に差し出せという令を出したが、多くの大名などに反対され失敗した。
天保の改革はたった2年ほどで失敗し、水野忠邦は失脚した。
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