《江戸時代の要点まとめ》覚えた方がいい小学校・中学受験の社会

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《江戸時代》中学受験-社会-覚えた方がいいリスト

《江戸時代》中学受験-社会-覚えた方がいいリスト

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江戸時代のはじまり

三河(みかわ、愛知県)地方の大名だった徳川家康(とくがわ いえやす)の領地が関東に移される。
豊臣秀吉が死ぬと、徳川家康のいきおいが強まります。

関ヶ原(せきがはら)の戦い
1600年
徳川家康がひきいる東軍と、石田三成(いしだ みつなり)がひきいる豊臣側の西軍が関ヶ原(せきがはら、岐阜県)で戦う。
徳川家康の勝利。

東軍::徳川家康
西軍::石田三成・豊臣側
場所::岐阜県 関ヶ原
江戸幕府(えど ばくふ)
1603年
徳川家康は朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命された。
徳川家康は江戸(東京)に幕府を開き江戸時代が始まる。
江戸時代は260年ほど続く。
大阪冬の陣(おおさか ふゆのじん)・大阪夏の陣(おおさか なつのじん)
1614年
大阪冬の陣(ふゆのじん):家康が豊臣氏をほろぼすための戦争を始める。

1615年
大阪夏の陣(おおさかなつのじん):ふたたび家康が豊臣氏をほろぼすための戦争を始める。

この戦争で豊臣秀頼(とよとみ ひでより)は負けて豊臣氏はほろんだ。

1616年 徳川家康が死亡。

江戸時代初期の政治

藩(はん)
江戸時代に大名の支配する領地のこと。
親藩(しんぱん)
徳川家の親族の大名(だいみょう)の藩。
江戸の近くや重要地点に配置されました。
譜代大名(ふだいだいみょう)
関ヶ原の戦いよりも前の古くから徳川に仕えていた家来(けらい)の大名。
江戸の近くや重要地点に配置されました。
外様(とざま)・ 外様大名(とざまだいみょう) 
関ヶ原の戦いのあとに徳川に仕えた家来の大名。
江戸から遠いところに配置されます。
一国一城令(いっこくいちじょうれい)
1615
それぞれの藩の大名の本拠の一城をのぞく、他の城を全て壊し、大名の城を一つにするという幕府からの命令。
武家諸法度(ぶけしょはっと)
1615年
徳川秀忠の時代。
幕府が作った大名を取り締まるための法律。
この法度に違反すると、領地の没収などの厳しい処罰をうけた。
禁中並公家諸法度(きんちゅうならびに くげしょはっと)
天皇や公家を取り締まるために幕府が作った法律。
京都所司代(きょうとしょしだい)
朝廷のうごきを監視するために幕府が作った組織。
参勤交代(さんきんこうたい)
3代将軍 徳川家光(とくがわ いえみつ)のとき
大名は一年ごとに江戸と自分の領地を行き来させると言う決まり。

江戸時代はじめごろの貿易

朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)
朱印船による東南アジアとの貿易。
江戸時代初期、貿易には幕府から与えられた朱印状(しゅいんじょう)が必要だった。
朱印状を持っている日本の船を朱印船(しゅいんせん)と呼んだ。

イギリス・オランダとの貿易
家康は、イギリスとオランダに日本との貿易を許し、平戸(ひらど、長崎県)での貿易が始まった。
長崎県::平戸
鎖国(さこく)
江戸幕府が行った貿易の制限のこと。
日本人の海外に行くことを禁止。
外国にいる日本人が日本に帰ることを禁止。
貿易を長崎でのオランダ商館と中国船(清)との貿易だけに制限した状態。
オランダとの貿易は、長崎の出島(でじま)とよばれる人工の島で行われた。
朝鮮通信使(ちょうせん つうしんし)
朝鮮から訪れる使節のこと。
使節とは国の代表として外国を行き来する人たちのこと。
鎖国のあいだも朝鮮との貿易は幕府に許され、貿易が続いていました。

キリスト教の禁止

禁教令(きんきょうれい)
1612年
家康のころ、江戸幕府がキリスト教を禁止するために出した法律。

踏み絵(ふみえ)・絵踏み(えふみ)
キリスト教の人(キリシタン)を見つけるためにイエス・キリストの絵が描かれた板を踏ませた。
踏み絵(ふみえ):キリストの絵が描かれた板。踏ませるためのもの。
絵踏み(えふみ):キリストの絵が描かれた板を踏ませること。
絵踏みをしないものはキリシタンであるとして処罰した。

3代将軍の徳川家光のころから、キリスト教徒を発見するため、踏み絵(ふみえ)を用いた絵踏み(えふみ)が行われるようになった。
宗門改(しゅうもんあらため)
江戸幕府によって行われた宗教政策(しゅうきょうせいさく)。
民衆の信仰する宗教を調査する制度。
寺請(てらうけ)
キリシタンではないことを寺院に証明させる制度。
島原の乱(しまばらのらん)
1637年
長崎県の島原でおきたキリスト教徒や農民達による一揆のこと。
キリシタン弾圧や過酷な年貢に苦しむ島原(長崎県)と天草(あまくさ、熊本県)の農民が天草四郎時貞(あまくさ しろう ときさだ)を指導者として幕府と戦った。

身分制度

江戸時代は、武士の身分が1番高い。
武士が、他の身分の農民や町民などを支配する。
武士
特権(とっけん)として、名字(みょうじ、苗字)を名乗り、刀を身につけることが許された。
町人や農民など、武士よりも下の身分のものが武士に無礼をしたときは、その農民などを切り捨てても良いという斬捨御免(きりすてごめん)という特権がありました。

農民
五公五民(ごこう ごみん):
収穫の半分を年貢(ねんぐ)としておさめ、残りの半分を農民のものとすること。
慶安の御触書(けいあんの おふれがき)
江戸幕府がだした農民統制(のうみんとうせい)のための法律。
農民のくらしは、贅沢(ぜいたく)をしないように、きびしく管理した。
五人組(ごにんぐみ)
年貢や犯罪などに対して集団責任を負わせるため、農家5けんを一組とし、組内でたがいに見張らせた制度。
村長は名主(なぬし)と言われた。


幕府の仕組み

将軍が一番上
その下に、
老中(ろうじゅう)::将軍の補佐をする。
若年寄(わかどしより)::老中の補佐をする
大老(たいろう)::臨時のときに補佐する。

老中の下に、
大目付(おおめつけ)::大名を取り締まる
町奉行(まちぶぎょう)::江戸の町の政治や裁判をおこなう。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)::財政の管理をする。
寺社奉行(じしゃぶぎょう)::神社や寺を取り扱う。
地方の管理の仕組み
京都所司代(きょうとしょしだい)::京都に朝廷と西国大名を監視(かんし)する。
大阪城代(おおさかじょうだい)::大阪に西国大名を監視する。


都市の発達

江戸・大坂・京都は三都とよばれ,城下町が栄えた。
江戸
政治の中心地として「将軍のおひざもと」とよばれた。18世紀には、人口が100万人をこえる大都市になった。
大坂
全国から米や商品作物が集まり,「天下の台所」とよばれた。
京都
天皇や公家の住む都。
西陣織(にしじんおり)や清水焼(きよみずやき)などの工芸品(こうげいひん)の産地。


農業と産業

新田開発
新しく開発して田畑を広げること。
幕府や藩が年貢を増やすために行った。

武士は年貢米を売って貨幣(かへい)にした。
年貢米は江戸や大阪にある蔵屋敷(くらやしき)に運ばれ、商人によって売られて貨幣にされた。

木綿や油菜,藍など商品作物の栽培が広がる。
ほしか・油かすなど現金で購入する「金肥(きんぴ)」とよばれる新しい肥料の使用。

治水(ちすい)工事が進み、農地に水を引く灌漑(かんがい)のための用水路(ようすいろ)が各地にできた。
道具
備中ぐわ(びっちゅうぐわ)::耕すための農具で、深く耕せる。
千歯こき(せんばこき)::稲(いね)の穀粒をおとす農具。くし状の部分が鉄製で、何本もの、くし状の「こき」があるので、一度に多くの穂(ほ)をとることができる。
千石どおし(せんごくどおし)::もみすり後の玄米ともみとをふるい分けたりする農具。
問屋制家内工業(とんやせいかないこうぎょう)
小生産者が商人(問屋)から原材料を貸してもらい、家に持って帰って自宅で加工を行う工業のこと。
工場制手工業(こうじょうせい しゅこうぎょう)
商人や大地主(おおじぬし)が、生産に必要な設備を買い入れ、職場に多くの人をあつめて働かせて生産させる工場のような形態。西洋ではマニュファクチュアと呼ばれる。
鉱業(こうぎょう)
ほとんどの鉱山(こうざん)は幕府が管理し金・銀・銅を採掘し貨幣の材料や輸出品にした。

金山(きんざん)
佐渡金山(さどきんざん:新潟県)
銀山(ぎんざん)
生野銀山(いくのぎんざん:兵庫県)・石見銀山(いわみぎんざん:島根県)
銅山(どうざん)
足尾銅山(あしおどうざん:栃木県)
商業
江戸時代は、商人があつかう商品の量や種類が増えた。このため、商業の仕組みが発達した。貨幣が全国的に流通するようになった。

問屋(とんや)や仲買(なかがい)や小売商(こうりしょう)の区別ができた。
問屋(とんや)
生産者から商品を仕入れ、販売店などの小売業者に商品を販売する仕事である。
仲買(なかがい)
問屋から買い取った商品を小売商に売る仕事。
小売商(こうりしょう)
問屋または仲買から買った商品を一般に販売する仕事。
蔵元・掛屋(くらもと かけや)
大坂の蔵屋敷で,各藩から送られた年貢米の管理・販売をおこなった商人。
札差(ふださし)
江戸で、旗本・御家人(ごけにん)の代理として、禄米(ろくまい)を受け取り、また金貸しなども業とした人。
蔵屋敷(くらやしき)
年貢米や、年貢のかわりの特産物(とくさんぶつ)は、江戸や大阪にある蔵屋敷(くらやしき)に運ばれ、商人によって売られた。
両替商
金貨や銀貨や銅貨の両替,預金,貸付などをおこなった。
江戸では金が取引、大阪では銀が取引の主流であったので、両替が必要だった。
飛脚(ひきゃく)
手紙や荷物を運ぶ仕事。

交通の発達

五街道の整備
江戸の日本橋を起点に,東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道が整備され,問屋場が作られた。
問屋場(といやば)・宿場(しゅくば)
江戸時代の街道の宿。
東海道には53の宿場があり、東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)と言われた
関所(せきしょ)
交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設。
主要街道には関所が設置された。

海上交通の発達

大量の荷物を運ぶため海上交通をつかった海運(かいうん)が発達した。
菱垣廻船(ひがきかいせん)
大坂と江戸を結んだ廻船(貨物船)
樽廻船(たるかいせん)
酒荷を輸送するために用いられた廻船(貨物船)
東回り航路
東北地方の太平洋側から、太平洋側を通り、大坂~江戸までをむすぶ航路。
西回り航路
日本海側の東北地方から、瀬戸内海を通り、大坂~江戸までをむすぶ航路。
江戸の商人である川村瑞賢(かわむら ずいけん)によって、東回り航路と西回り航路が開かれた。


徳川綱吉(とくがわつなよし)
5代将軍、儒学(じゅがく)を好み湯島(ゆしま)に聖堂を建てた。
生類憐れみの令をだした。
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)
徳川綱吉がだした極端な動物愛護令(どうぶつあいごれい)。
犬や猫などを殺生を禁じた。
犬を殺した場合は重罪(じゅうざい)にしたため、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれた。
新井白石(あらい はくせき)
6代将軍徳川家宣・7代将軍徳川家継に仕えた儒学者。
生類憐みの令を廃止するなど,綱吉時代の乱れた政治を改め、質の低下した金貨・銀貨の質をもとの質にもどした。
新井白石の政治を、正徳の治(しょうとく の ち)という

将軍・徳川吉宗の政治

徳川吉宗(とくがわ よしむね)
質素倹約(しっそけんやく)をすすめ、享保の改革を行った将軍。
享保の改革(きょうほう の かいかく)
幕府の政治を立て直すための改革。
新井白石の正徳の治を一部あらためて、質素・倹約をすすめた。
足高の制・目安箱・上米の制・公事方御定書を行った。
足高の制(あしだかのせい)
能力のある人材を登用するための制度。
目安箱(めやすばこ)
民衆の意見を聞くために設置した意見箱。
上米の制(あげまいのせい)
大名の参勤交代での江戸の滞在期間は半年にし、大名は石高1万石につき100石を幕府におさめさせた。

公事方御定目書(くじがた おさだめがき)

公正な政治や裁判をおこなうための法典(法律書)。

田沼意次(たぬま おきつぐ)の改革

田沼意次(たぬま おきつぐ)
10代将軍の徳川家治(とくがわ いえはる)のころの老中。
商業を重んじた政策(せいさく)をした。
株仲間(かぶなかま)の許可
商人に事業を独占できる株仲間の結成をみとめ、株仲間からの税(ぜい)を取った。
蝦夷地の開拓(えぞちのかいたく)
輸出用の品を増やすために行った。
長崎貿易(ながさきぼうえき)
海産物(かいさんぶつ)や銅を輸出し、金・銀を輸入しようとした。
印旛沼の干拓(いんばぬまのかんたく)
水害を防ぐことで米の収入を増やそうとした。
田沼の政治は、役人のあいだに賄賂(わいろ)が横行するようになった。
天明の飢饉(てんめいのききん)により、百姓一揆や打ちこわしがおこり、田沼は失脚(しっきゃく)した。
天明の飢饉(てんめいのききん)
1782年~1787年におきた全国的な飢饉のこと。
悪天候、洪水、浅間山(あさまやま)の大噴火によって、作物の不作がひどくなり、飢え死ぬ人が大量に出た飢饉。

松平 定信の改革

松平 定信(まつだいら さだのぶ)
寛政の改革を行った老中。
天命の飢饉のときに、商人から米や食料を買いあげて、農民に食料をくばるなどの方法で飢饉を切り抜けた。
寛政の改革(かんせいのかいかく)
天明の飢饉からの回復のために弱者の保護などの政策を行った。
帰農令(きのうれい)
江戸に出稼ぎで来ていた農民を農村にかえらせ、農民を農業に専念させた。
囲い米(かこいまい)
凶作でも飢饉(ききん)にならないように、米を蔵(くら)に蓄え(たくわえ)させるた。
人足寄場(にんそくよせば)
無職の人に対する職業訓練所を作り職業訓練をさせた。
棄捐令(きえんれい)
借金に苦しむ武士を救うために行った借金帳消しの政策。つまり徳政令(とくせいれい)。
積み金(つみきん)
緊急時のために貯金していく積み立て(つみたて)をした。

寛政異学の禁(かんせいいがく の きん)
聖堂学問所で朱子学以外の儒学の講義を禁止した。

寛政の改革の結果
厳しすぎる改革の内容が反感を買い,松平定信は6年で失脚した。


天保の飢饉(てんぽうのききん)
天候不良による全国的な飢饉。餓死者が続出し,一揆・打ちこわしが頻発した。

大阪の町奉行所の元・役人の大石平八郎(おおしお へいはちろう)が、町奉行に貧民の救済を申し出たが、町奉行に聞き入れられず、その上、大阪で買い占めた米を江戸に送っているという有様(ありさま)だった。


大塩平八郎の乱(おおしおへいはちろう の らん)
1837年
苦しむ人々を救済するため乱を起こすが一日ほどでしずめられた。

水野忠邦の改革

水野忠邦(みずの ただくに)
天保の改革を行った老中。

天保の改革
1841年
財政を立て直すため倹約令(けんやくれい)を出した。

人返し令(ひとがえしれい)
農民の出稼ぎを禁止し、江戸に住み着いた農民を村に返す法令をだしたがうまくいかなかった。
株仲間(かぶなかま)の解散
物価を下げるために行ったが失敗した。
上地令(あげちれい)
江戸、大阪周辺の大名などに土地を幕府に差し出せという令を出したが、多くの大名などに反対され失敗した。
天保の改革はたった2年ほどで失敗し、水野忠邦は失脚した。


江戸の3大改革 まとめ

享保の改革(きょうほうのかいかく)
1716~1745
徳川吉宗(とくがわ よしむね)
寛政の改革(かんせいのかいかく)
1787~1793
松平定信(まつだいら さだのぶ)
天保の改革(てんぽうのかいかく)
1841~1843
水野忠邦(みずの ただくに)


江戸時代の学問

幕府は、幕府を保ちつづけるには儒学(じゅがく)などの道徳的な学問が必要だと考え、武士に儒学を学ばせた。
日本の古典や歴史を学ぶことは幕府は認めていた。
万葉集(まんようしゅう)などの古典、古事記(こじき)・日本書紀(にほんしょき)などの歴史を学んだり研究する者もあらわれた。
儒学(じゅがく)
江戸時代初期にさかんだった学問。
儒学には朱子学、陽明学、古学が含まれている。
朱子学(しゅしがく)
徳川綱吉のころ、幕府公認の学問とし、江戸の湯島に聖堂学問所(せいどうがくもんじょ)を開いた。
蘭学(らんがく)
ヨーロッパの医学や農学や科学技術などの学問。
キリスト教や政治道徳に関係の無い学問を学ぶことを認められた。
本居宣長
賀茂真淵(かものまぶち)の弟子。
『古事記』の研究を行い、『古事記伝』(こじきでん)を著した。
前野良沢・杉田玄白((まえの りょうたく・すぎた げんぱく)
オランダ語の人体解剖書を翻訳して『解体新書』を出版した。
シーボルト
19世紀の初めに長崎に鳴滝塾(なるたきじゅく)を開き、医学や蘭学を教えた。
平賀源内(ひらがげんない)
発電機(はつでんき)のエレキテルを作った。


江戸時代の測量(そくりょう)
日本地図をつくるために細かく調べる測量を行い地図を完成させた。
伊能忠敬(いのう ただたか)
日本地図を作った。
測量(そくりょう)する旅をして、正確な日本地図である『大日本沿海輿地全図』(だいにほんえんかい よちぜんず)を作った。

江戸時代の文化

江戸時代を代表する二つの文化『元禄文化』と『化政文化』。
『元禄文化』
1688年~1704年
5代将軍徳川綱吉 東山天皇の時代。

京や大阪を中心に栄えた文化。商業のさかんな都市であり、町人の気風がつよく影響している。
浮世草子(うきよぞうし)
町人など、庶民の様子をえがいた小説。
井原西鶴(いはらさいかく)
『日本永代蔵』(にほねいたいぐら)
『世間胸算用』(せけん むねさんよう)
人形浄瑠璃
三味線などを伴奏にして物語を、あやつり人形をうごかしながら語る。
近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)
『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう)
『国性爺合戦』(こくせんや かっせん)
俳句(はいく)
5・7・5の口調で季節の様子を句にする。
松尾芭蕉(まつお ばしょう)
『奥の細道』
浮世絵(うきよえ)
町人や女性などのようすが描かれた版画(はんが)を利用して印刷する絵画。
菱川師宣(ひしかわ もろのぶ):『見返り美人』
尾崎光琳(おがた こうりん):『かきつばた』


『化政文化』
1804年~1818年
11代将軍徳川家斉の時代
江戸の町人を中心に栄えた文化。川柳や狂歌が流行った。
小説
十辺舎一九(じゅぺんしゃ いっく):『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅう ひざくりげ)
滝沢馬琴(たきざわ ばきん):『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん)
俳句
小林一茶(こばやし いっさ):「おらが春」
与謝蕪村(よさ ぶそん):「菜の花や 月は東に 日は西に」
錦絵
多色刷りと呼ばれる版画。
喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)の美人画
歌川 広重(うたがわ ひろしげ)の風景画:「東海道五十三次」
葛飾北斎(かつしか ほくさい):『富嶽三十六景』(ふがく さんじゅうろっけい)
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく):役者絵(やくしゃえ)で有名で歌舞伎(かぶきやくしゃ)役者などを描いた。
寺子屋
民衆の教育のための場所。


江戸時代の北海道と沖縄

北海道(ほっかいどう)
江戸時代、北海道は「えぞ」とよばれており、アイヌ民族が住んでいた。
アイヌは、松前藩(まつまえはん)と貿易をさせられ、アイヌの人が持ってくるサケやコンブを、わずかな米などと交換していた。
アイヌの首長シャクシャインが反発したが,松前藩らに鎮圧され,松前藩のアイヌ支配がより厳しくなった。
琉球王国(りゅうきゅう おうこく)
江戸時代、沖縄は「琉球」(りゅうきゅう)という王国だった。
江戸時代の初めごろ、17世紀に、琉球王国は薩摩藩によって支配され年貢を取られるようになりました。


開国と戊辰戦争

外国船の出現
1825年、ロシア、イギリスなどの船が日本に近づくようになり幕府は異国船打払令(いこくせん うちはらいれい)という命令を出し。清(中国)とオランダの船以外を武力で撃退するようにした。
黒船来航
1853年に
アメリカ合衆国の4隻(よんせき)の軍艦(ぐんかん)が日本の浦賀(うらが、神奈川県の港)に来航しました。色が黒かったので、黒船(くろふね)と呼ばれます。
ペリー
アメリカ人の使節で幕府に開国をせまった。

1年後の1854年に、ペリーがふたたび、日本に来ました。
ついに日本は開国をします。 日本とアメリカとの間で、日米和親条約(にちべい わしんじょうやく)が結ばれ(むすばれ)ました。
「条約」とは、国と国どうしの約束のこと。
日本とアメリカ(米国、べいこく)とのあいだの条約なので、「日米和親条約」という名前。
日米和親条約(にちべい わしんじょうやく)
下田(しもだ、静岡県)と函館(はこだて、北海道)が開港された。
下田にアメリカの領事館(りょうじかん)がおかれた。
函館を開港はしたが自由貿易は認めていない。
日米修好通商条約(にちべい しゅうこう つうしょう じょうやく)
アメリカとの間で自由な貿易を認めることにした条約。
函館、新潟、神奈川(横浜)、兵庫(神戸)、長崎の5港を新たに開くことした。
ハリス
初代のアメリカ総領事として下田に来て、江戸幕府に貿易を行うことを求めた。
不平等条約(ふびょうどう じょうやく)
日米修好通商条約の内容は、日本にとって不利な内容で、不平等な条約でした。
アメリカ人の治外法権(ちがい ほうけん)
領事裁判権(りょうじ さいばんけん)とも言います。
日本国内で外国人が犯罪をおかしても、日本の法律では処罰(しょばつ)できませんでした。
日本に関税自主権(かんぜい じしゅけん)が無い。
日本への輸入品に、税をかける権利が、日本には、ありませんでした。
関税とは輸入品にかける税のこと。

開国による経済の変化
生糸(きいと)や茶を輸出。しかし、大量に輸出したため国内で品が不足し物価が上がった。
品不足や物価の上昇などにより、庶民のくらしは苦しくなっていき、幕府への不満が高まっていきます。

日米修好通商条約は、大老の井伊直弼(いい なおすけ)によってこの結ばれました。
しかし、この条約は朝廷の許可をとらないまま、結ばれた条約でした。


安政の大獄(あんせいのたいごく)
朝廷の許可も得ないまま、日米修交通商条約を結んでしまった井伊直弼に多くの批判を寄せられます。
井伊直弼は、この反対派の人々を次々に処罰しました。
桜田門外の変(さくらだもんがいの へん)
1860年
井伊直弼が江戸城の桜田門(さくらだもん)の近くで「安政の大獄」による弾圧に反対をしていた浪士(ろうし)によって、暗殺された事件。


尊王攘夷(そんのうじょうい)
世間から、外国を打ちはらおうとする考えが出てき始めます。このような、外国を打払いしようという考えを攘夷(じょうい)と言い、攘夷の主張を攘夷論(じょういろん)と言います。

尊王(そんのう)::
幕府の政治への不満から『幕府の政治ではなく天皇や朝廷の政治にしよう』という考え。
尊王論。

攘夷(じょうい)::
外国との貿易のために物価が上昇など苦しい思いをしているという考えから『外国を打払いしよう。』という考え。
攘夷論。

尊王論と攘夷論が組み合わさり『尊皇攘夷論(そんのうじょういろん)』となり、やがて幕府を倒そうという運動へと変わっていきます。
薩英戦争(さつえい せんそう)
薩摩藩の大名行列の前を横切ったイギリス人を薩摩藩の武士が斬り殺すという生麦事件(なまむぎ じけん)を発端に起こったイギリスと薩摩藩の戦争。
薩摩藩が負ける。
西郷隆盛(さいごうたかもり)
大久保利通(おおくぼとしみち)

下関戦争(しものせきせんそう)
1863年
長州藩が下関海峡を通る外国船に、いきなり砲撃を始めた。翌年、外国の連合艦隊(れんごうかんたい)、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの4カ国からなる連合軍により反撃を受け、下関の砲台を占拠される。
長州藩が負けた。
高杉晋作(たかすぎ しんさく)
木戸 孝允(きど たかよし)
伊藤 博文(いとう ひろふみ)

薩摩や長州は、この戦いで攘夷が不可能とわかった。

欧米の実力を知り、日本には改革が必要であると考え、そのためには幕府を倒す必要があるという考えが高まった。

薩長同盟(さっちょう どうめい)
1866年
対立していた薩摩藩と長州藩が土佐藩の坂本竜馬(さかもと りょうま)が仲立ちによって結ばれた同盟。

薩摩や長州はイギリスの支援を受け、幕府はフランスの支援を受け、軍備や技術の改革をしていた。
大政奉還(たいせいほうかん)
幕府の15代将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)は、1867年に政権を朝廷にかえしました。

こうして、江戸幕府の約260年の時代は終わりました。
王政復古の大号令(おうせいふっこの だいごうれい)
1867年
政治を古来の天皇中心の政治にもどし新政府を作るという宣言。
戊辰戦争(ぼしん せんそう)
旧幕府軍と新政府軍の間の戦争。

鳥羽伏見の戦い(とばふしみ の たたかい)
鳥羽と伏見での旧幕府軍と新政府軍の戦い。
戊辰戦争の一部。

その後、新政府の西郷隆盛(さいごう たかもり)と元幕府の勝海舟(かつ かいしゅう)の会談により江戸の無血開城(戦わずして江戸城は新政府軍に渡す)が実現。
東北の平定と、北海道の平定
会津藩(あいづはん、福島県)は、江戸城の開城を不服とし、新政府軍と戦いましたが敗北。
五稜郭(ごりょうかく)
江戸から北海道へと向かった旧幕府軍は、1868年、榎本武明(えのもと たけあき)は土方歳三(ひじかた としぞう)らと共に函館の五稜郭を占拠します。しかし新政府軍に降伏します。

この五稜郭までの一連の戦争を戊辰戦争(ぼしんせんそう)といいます。
戊辰戦争が終わり、新政府軍は日本国内を平定した。

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