平安時代のおわり~平家滅亡と鎌倉幕府の幕開け~
太政大臣となった平清盛は、日宋貿易によって巨額の収益を得るようになります。兵庫の港を整備して、大陸国家の宋と貿易をしたのです。
権力を独占するようになった平家一族に、不満を持つひとたちも増えていきました。そのため、源氏の棟梁・源頼朝は、以仁王から平家討伐の命令書を受け取り、1180年に伊豆で兵をあげました。
源氏の木曽義仲、源頼朝の実弟・源義経などの活躍によって、1183年になると平家勢力は京の都を捨てて拠点である関西方面へと逃れました。1184年の一ノ谷の戦いでは、源義経を先頭に断崖絶壁から馬で駆け降りて平家を襲撃したエピソードが有名でしょう。
勢いづいた源氏勢力は、1185年に陸上からも海上からも屋島を攻めました。この屋島の戦いに敗れた平家は壇ノ浦へと落ち延びるしかありませんでした。この壇ノ浦は現在の山口県下関にあたります。この壇之浦の戦いが最終決戦となり、敗れた平家は滅亡しました。まだ幼かった安徳天皇も、関門海峡の海へ飛び込み、命を落としています。
平安時代は源平合戦で敗北した平家の滅亡とともに終わりをむかえ、源頼朝による鎌倉幕府のはじまりとともに、新しい時代をむかえたのでした。
まとめ
平安時代は桓武天皇の平安京遷都にはじまり、世の中も貴族から武士中心へ移り変わりました。平安時代以降の政権は、明治時代になるまで武士が握ったのです。
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