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鎌倉時代の特徴と要点まとめ|年表付き – 中学受験・中学社会

元寇 竹崎季長日本史 - 中学受験
元寇 竹崎季長
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源氏

 

源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開き、政治の権力が朝廷から幕府へと移っていき、武家政治の時代になっていきます。


 

御家人(ごけにん)
将軍の家来の武士のこと。

 

御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)
将軍は、御家人たちの土地を与え、御家人たちは将軍のために警備をしたり戦争の時には戦う。

 

御恩(ごおん)
将軍が御家人に領地を与えたりその領地を守ったりすること。

 

奉公(ほうこう)
将軍や幕府のために仕事をすること。
幕府の警備や戦争の時には将軍のために戦うこと。

 

「いざ鎌倉」(いざ かまくら)
御家人は戦いが起きれば、すぐに鎌倉へと行って将軍のために戦うべき、とされていたときにできた言葉。

 

一所懸命(いっしょけんめい)
御家人たちが「自分たちの領地を守るために命がけで戦う」という気持ちから出来た言葉。

 

封建制度(ほうけんせいど)
領地をもらう替わりに将軍のために働くというように土地や領地を使った主従関係のこと。

 

武家造(ぶけづくり)
塀や堀で囲われた御家人の屋敷のこと。戦いに備えたつくり。

 

北条氏

 

頼朝の死後は、政治の実権は、有力な御家人である北条氏の一族にありました。


 

北条時政(ほうじょう ときまさ)
執権(しっけん)という役職につき、幕府の実権をにぎりました。

執権政治(しっけん せいじ)
北条氏のように執権として政治の実権をにぎる政治のやりかたを  といいます。

 

後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
源氏から政権を取り戻すために、承久の乱を起こした天皇。
敗北(はいぼく)して島根県の隠岐(おき)という島に島流し(しまながし)にされる。

 

承久(じょうきゅう)の乱
1221年、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう) は政治の実権を朝廷に取り戻そうとして起きた、北条氏の幕府軍と、朝廷の軍との戦争
北条氏の側が勝ちます。後鳥羽上皇は島根県の隠岐(おき)という島に島流し(しまながし)にされ、追放されます。

 

六波羅探題(ろくはらたんだい)
幕府が朝廷や西国を監視するために京都に置いた。

 

御成敗式目 (ごせいばい しきもく)
1232年、武家社会の慣習(かんしゅう)をもとに作られた武士政権のための法律。
最初の武士による法律。

 

北条泰時(ほうじょう やすとき)
御成敗式目という法律を作った。

 

モンゴルとの戦い


13世紀、ユーラシア大陸の広い地域ではモンゴル民族がモンゴル帝国を築いていた。
中国の宋(そう)を滅ぼし、元という国を作って日本に攻めてきた。
しかし、船で攻めてきた元軍は暴風雨の影響により引き上げたので日本が勝ちました。

 

チンギス=ハン
モンゴル民族を統一した。

 

フビライ=ハン
中国の王朝である宋(そう)を滅ぼし元(げん)という国を作り皇帝となった。チンギス=ハンの孫。

 

元寇(げんこう)
元が日本に攻めてきて戦争になったこと。
蒙古襲来(もうこしゅうらい)とも言う。
元は2回攻めてきていてその時のことを
文永の役(ぶんえいのえき)と 弘安の役(こうあんのえき)という。

 

文永の役(ぶんえいのえき)
1274年、元が九州北部に攻め込み幕府軍と戦った。

 

弘安の役(こうあんのえき)
1281年
、元が九州北部に攻め込み幕府軍と戦った。

 

『てつはう』、『毒矢(どくや)』
元軍が使用した武器。 日本は苦戦した。

 

北条時宗(ほうじょう ときむね)
元寇の時期の執権で文永の役弘安の役の2度にわたって元を追い払うことに成功した。

 

徳政令(とくせいれい)
御家人の借金(しゃっきん)などを帳消しにできる。
元寇の後、この戦いのせいで御家人は生活が苦しくなったので幕府がだした法律。

 

元寇 竹崎季長

元寇 竹崎季長

蒙古襲来絵詞/Wikipediaより引用

コメント

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