■安土桃山時代から江戸時代へ~徳川家康が江戸幕府をはじめる~
太閤という地位を豊臣秀吉がなったのは、跡継ぎとして養子にむかえた秀次に地位をゆずってからのことです。敵対する薩摩(鹿児島)の島津氏、小田原(神奈川)の北条氏が降伏し、東北地方の平定にも成功したことで、豊臣秀吉は1590年に全国を統一しました。
政治の実権は豊臣秀吉にありました。大陸へ領地を拡大するため朝鮮半島へ出兵します。1592年の文禄の役、1597年の慶長の役と、二度にわたって出兵しましたが、大陸へ支配を広げることはできませんでした。
ですが、太閤まで出世した豊臣秀吉も、1598年に病気で亡くなります。豊臣秀吉の政治で行政にたずさわっていた石田三成と軍事にたずさわっていた徳川家康が対立して権力を争うようになりました。各地の大名もそれぞれどちらの味方につくのか頭を悩ませます。
ついに、天下分け目の合戦といわれる「関ケ原の戦い」をむかえました。西軍の総大将は徳川家康、東軍の総大将は石田三成に味方する毛利輝元です。1600年に東西両軍が衝突、西軍から東軍へと小早川秀秋が寝返ったことで、西軍は総崩れとなり敗北します。やがて、石田三成は京都で処刑され、戦国時代も終わりをむかえました。
安土桃山時代には安土城や大阪城といった豪華な城が建てられたり、戦乱の世を反映したような力強い屏風絵が描かれたりするようになりました。大衆文化でも出雲阿国の歌舞伎踊りが人気を集めています。また、この安土・桃山文化では茶の湯が大流行し、いわゆる「わび」「さび」といった日本独特の思想もみられるようになったのです。
■まとめ
戦国時代では武力による衝突を繰り返しながら、織田信長が天下統一の地盤をかため、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げました。そして、徳川家康が江戸幕府をはじめたことで、ようやく戦乱の世もひとつの区切りをむかえたのです。
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