江戸時代を1年ごとに並べた年表です。 その時の将軍、天皇、和暦(年号)、西暦、出来事がわかる便利な年表ですので、江戸時代の流れを知ったり、覚えた出来事を整理するのに便利だと思います。出来事には主要な出来事・大きな出来事が記載されています。
中学受験対策や中学校の日本史テスト勉強などにお使いください。
将軍・天皇・年号・出来事がわかる江戸時代の年表
西暦 | 和暦 | 天皇 | 将軍 | できごと |
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1603年 | 慶長8年 | 後陽成天皇 | 家康 | ・徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。 |
1604年 | 慶長9年 | ・朱印船の制度を定める。 | ||
1605年 | 慶長10年 | 秀忠 | ・徳川秀忠が二代将軍となる | |
1606年 | 慶長11年 | |||
1607年 | 慶長12年 | |||
1608年 | 慶長13年 | |||
1609年 | 慶長14年 | ・オランダが平戸で貿易を始める。 | ||
1610年 | 慶長15年 | |||
1611年 | 慶長16年 | 後水尾天皇 | ||
1612年 | 慶長17年 | ・キリスト教禁止令が施行される。 | ||
1613年 | 慶長18年 | ・公家諸法度を定める。 ・伊達政宗、慶長遣欧使節を派遣する(メキシコ・ローマに派遣) | ||
1614年 | 慶長19年 | ・大坂冬の陣 | ||
1615年 | 慶長20年 元和元年 | ・大坂夏の陣 →豊臣氏は滅びる。 ・武家諸法度・禁中並公家諸法度などを定める。 | ||
1616年 | 元和2年 | ・徳川家康死去 | ||
1617年 | 元和3年 | ・家康が東照大権現の神号を受け、日光の東照宮ができる。 | ||
1618年 | 元和4年 | |||
1619年 | 元和5年 | |||
1620年 | 元和6年 | |||
1621年 | 元和7年 | |||
1622年 | 元和8年 | ・キリシタン多数を処刑(元和の大殉教)。 | ||
1623年 | 元和9年 | 家光 | ・徳川家光が三代将軍となる。 | |
1624年 | 寛永元年 | ・スペイン船の来航を禁止する。 | ||
1625年 | 寛永2年 | |||
1626年 | 寛永3年 | ・長崎奉行水野守信が踏み絵を始める。 | ||
1627年 | 寛永4年 | |||
1628年 | 寛永5年 | |||
1629年 | 寛永6年 | 明正天皇 | ||
1630年 | 寛永7年 | ・キリスト教関連の漢訳洋書の輸入が禁止される(寛永の禁書令)。 | ||
1631年 | 寛永8年 | |||
1632年 | 寛永9年 | ・旗本諸法度を定める。 | ||
1633年 | 寛永10年 | |||
1634年 | 寛永11年 | ・長崎商人に出島を築かせる。→36年完成 | ||
1635年 | 寛永12年 | ・武家諸法度を改定し、外様大名に参勤交代を命じる。 | ||
1636年 | 寛永13年 | ・ポルトガル人を出島に移す。 | ||
1637年 | 寛永14年 | ・島原の乱 →島原・天草で農民一揆。天草四郎時貞を首領にしたキリスト教信仰の取締りに対する乱(島原の乱:~38年) | ||
1638年 | 寛永15年 | |||
1639年 | 寛永16年 | ・ポルトガル船の来航を禁止 →鎖国の完成(~1854年まで) | ||
1640年 | 寛永17年 | |||
1641年 | 寛永18年 | ・オランダ商館を平戸から長崎の出島に移す。 | ||
1642年 | 寛永19年 | ・寛永の大飢饉(~1643年) | ||
1643年 | 寛永20年 | 後光明天皇 | ・田畑永代売買禁止令を制定 | |
1644年 | 正保元年 | |||
1645年 | 正保1年 | |||
1646年 | 正保2年 | ・江戸にキリシタン屋敷ができる。 | ||
1647年 | 正保3年 | |||
1648年 | 慶安元年 | |||
1649年 | 慶安2年 | ・慶安の御触書が出される。 | ||
1650年 | 慶安3年 | |||
1651年 | 慶安4年 | 家綱 | ・由比正雪の乱(慶安事件) | |
1652年 | 承応元年 | ・承応事件 → 江戸で牢人による老中暗殺計画が発覚 | ||
1653年 | 承応2年 | |||
1654年 | 承応3年 | 後西天皇 | ||
1655年 | 明暦元年 | |||
1656年 | 明暦2年 | |||
1657年 | 明暦3年 | ・明暦の大火で江戸城本丸、二の丸をはじめ江戸の半ばが焼ける。 世界三大大火のひとつ | ||
1658年 | 万治元年 | |||
1659年 | 万治2年 | |||
1660年 | 万治3年 | |||
1661年 | 寛文元年 | |||
1662年 | 寛文2年 | |||
1663年 | 寛文3年 | 霊元天皇 | ||
1664年 | 寛文4年 | |||
1665年 | 寛文5年 | |||
1666年 | 寛文6年 | |||
1667年 | 寛文7年 | |||
1668年 | 寛文8年 | |||
1669年 | 寛文9年 | ・シャクシャインの戦い アイヌ部族と松前藩との戦い。 | ||
1670年 | 寛文10年 | |||
1671年 | 寛文11年 | ・河村瑞賢が東回りの航路を開く。 | ||
1672年 | 寛文12年 | ・河村瑞賢が西回りの航路を開く。 | ||
1673年 | 延宝元年 | ・分地制限令(田畑の分割相続の制限)が出される。 | ||
1674年 | 延宝2年 | |||
1675年 | 延宝3年 | |||
1676年 | 延宝4年 | |||
1677年 | 延宝5年 | |||
1678年 | 延宝6年 | |||
1679年 | 延宝7年 | |||
1680年 | 延宝8年 | 綱吉 | ||
1681年 | 天和元年 | ・綱吉が江戸に護国寺を建てる。 | ||
1682年 | 天和2年 | |||
1683年 | 天和3年 | |||
1684年 | 貞享元年 | |||
1685年 | 貞享2年 | ・将軍綱吉が最初の生類憐みの令を定める。 | ||
1686年 | 貞享3年 | ・井原西鶴の『好色五人女』が発刊される。 | ||
1687年 | 貞享4年 | 東山天皇 | ||
1688年 | 元禄元年 | ・長崎に唐人屋敷を作る。 | ||
1689年 | 元禄2年 | ・松尾芭蕉が奥の細道の旅に出る。 | ||
1690年 | 元禄3年 | ・江戸の湯島に聖堂ができる。 | ||
1691年 | 元禄4年 | |||
1692年 | 元禄5年 | |||
1693年 | 元禄6年 | |||
1694年 | 元禄7年 | ・柳沢吉保が老中になる。 | ||
1695年 | 元禄8年 | |||
1696年 | 元禄9年 | |||
1697年 | 元禄10年 | |||
1698年 | 元禄11年 | |||
1699年 | 元禄12年 | |||
1700年 | 元禄13年 | |||
1701年 | 元禄14年 | |||
1702年 | 元禄15年 | ・元禄赤穂事件(赤穂四十七士討入)→ 赤穂浪士大石良雄らが吉良義央を討つ。 | ||
1703年 | 元禄16年 | ・近松門左衛門の「曾根崎心中」が竹本座で初演される。 | ||
1704年 | 宝永元年 | |||
1705年 | 宝永2年 | |||
1706年 | 宝永3年 | |||
1707年 | 宝永4年 | ・富士山が噴火し、宝永山ができる。 | ||
1708年 | 宝永5年 | |||
1709年 | 宝永6年 | 中御門天皇 | 家宣 | ・新井白石が登用され、正徳の治が始まる。 ・生類憐みの令廃止 |
1710年 | 宝永7年 | |||
1711年 | 正徳元年 | |||
1712年 | 正徳2年 | |||
1713年 | 正徳3年 | 家継 | ・徳川家継が七代将軍となる。 | |
1714年 | 正徳4年 | |||
1715年 | 正徳5年 | ・近松門左衛門の「国性爺合戦」を竹本座で初演。 | ||
1716年 | 享保元年 | 吉宗 | ・享保の改革が始まる | |
1717年 | 享保2年 | |||
1718年 | 享保3年 | |||
1719年 | 享保4年 | ・相対済し令が発布される | ||
1720年 | 享保5年 | ・キリスト教以外の漢訳洋書輸入の禁をゆるめる。 | ||
1721年 | 享保6年 | ・目安箱が設置される(享保の改革) | ||
1722年 | 享保7年 | ・上米の制が発布される | ||
1723年 | 享保8年 | ・足高の制を定める。 | ||
1724年 | 享保9年 | |||
1725年 | 享保10年 | |||
1726年 | 享保11年 | 美作国津山藩の農民が一揆をおこす(山中一揆)。 | ||
1727年 | 享保12年 | |||
1728年 | 享保13年 | |||
1729年 | 享保14年 | |||
1730年 | 享保15年 | ・上げ米の制をやめ、参勤交代を元に戻す。 | ||
1731年 | 享保16年 | |||
1732年 | 享保17年 | ・享保の大飢饉 | ||
1733年 | 享保18年 | |||
1734年 | 享保19年 | |||
1735年 | 享保20年 | 桜町天皇 | ||
1736年 | 元文元年 | |||
1737年 | 元文2年 | |||
1738年 | 元文3年 | |||
1739年 | 元文4年 | ・ロシア船が陸奥や安房沖に出没。幕府が沿岸諸藩に命じ、海防を厳しくさせる。 | ||
1740年 | 元文5年 | |||
1741年 | 寛保元年 | |||
1742年 | 寛保2年 | ・公事方御定書制定(享保の改革) | ||
1743年 | 寛保3年 | |||
1744年 | 延享元年 | |||
1745年 | 延享2年 | 家重 | ||
1746年 | 延享3年 | |||
1747年 | 延享4年 | 桃園天皇 | ||
1748年 | 寛延元年 | |||
1749年 | 寛延2年 | |||
1750年 | 寛延3年 | |||
1751年 | 宝暦元年 | |||
1752年 | 宝暦2年 | |||
1753年 | 宝暦3年 | |||
1754年 | 宝暦4年 | |||
1755年 | 宝暦5年 | |||
1756年 | 宝暦6年 | |||
1757年 | 宝暦7年 | |||
1758年 | 宝暦8年 | |||
1759年 | 宝暦9年 | |||
1760年 | 宝暦10年 | 家治 | ||
1761年 | 宝暦11年 | |||
1762年 | 宝暦12年 | 後桜町天皇 | ||
1763年 | 宝暦13年 | |||
1764年 | 明和元年 | |||
1765年 | 明和2年 | |||
1766年 | 明和3年 | |||
1767年 | 明和4年 | ・田沼意次が側用人になる。 | ||
1768年 | 明和5年 | ・上田秋成の『雨月物語』ができる。 | ||
1769年 | 明和6年 | |||
1770年 | 明和7年 | 後桃園天皇 | ||
1771年 | 明和8年 | ・前野良沢・杉田玄白らが、千住・小塚原で死刑囚の解剖を見て、『ターヘルアナトミア』の翻訳をはじめる。 | ||
1772年 | 明和9年 安永元年 | ・田沼意次が老中になる。 | ||
1773年 | 安永2年 | |||
1774年 | 安永3年 | 前野良沢・杉田玄白らが『解体新書』を出版する。 | ||
1775年 | 安永4年 | |||
1776年 | 安永5年 | ・平賀源内がエレキテルの器械を完成させる。 | ||
1777年 | 安永6年 | |||
1778年 | 安永7年 | |||
1779年 | 安永8年 | 光格天皇 | ||
1780年 | 安永9年 | |||
1781年 | 安永10年 天明元年 | |||
1782年 | 天明2年 | ・天明の大飢饉(~1788年) | ||
1783年 | 天明3年 | |||
1784年 | 天明4年 | |||
1785年 | 天明5年 | |||
1786年 | 天明6年 | ・田沼意次が老中から失脚。 | ||
1787年 | 天明7年 | 家斉 | ・松平定信、老中になる ・寛政の改革が始まる ・米価が上がり、江戸・大阪などで打ち壊しがおこる。 | |
1788年 | 天明8年 | |||
1789年 | 寛政元年 | ・幕府が諸大名に囲米を命じる。 | ||
1790年 | 寛政2年 | ・寛政異学の禁 → 昌平黌において朱子学のほか異学を講義することを禁止する。 | ||
1791年 | 寛政3年 | |||
1792年 | 寛政4年 | ・ロシア使節のラクスマンが根室に来て通商を求める。 | ||
1793年 | 寛政5年 | ・松平定信が老中を辞める。 | ||
1794年 | 寛政6年 | |||
1795年 | 寛政7年 | |||
1796年 | 寛政8年 | |||
1797年 | 寛政9年 | |||
1798年 | 寛政10年 | ・本居宣長が『古事記伝』を完成させる。 | ||
1799年 | 寛政11年 | |||
1800年 | 寛政12年 | ・伊能忠敬が蝦夷地を測量する。 | ||
1801年 | 享和元年 | |||
1802年 | 享和2年 | ・十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が出版される。 | ||
1803年 | 享和3年 | ・アメリカ船が長崎に来て通商を求める。 | ||
1804年 | 文化元年 | ・ロシア使節レザノフ、長崎に来て通商を求める。 | ||
1805年 | 文化2年 | ・幕府が北辺警備の強化に力を入れる。 | ||
1806年 | 文化3年 | |||
1807年 | 文化4年 | |||
1808年 | 文化5年 | ・間宮林蔵、樺太を探検する | ||
1809年 | 文化6年 | ・間宮林蔵が間宮海峡を発見する。 | ||
1810年 | 文化7年 | |||
1811年 | 文化8年 | |||
1812年 | 文化9年 | |||
1813年 | 文化10年 | |||
1814年 | 文化11年 | ・滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』を著す。 | ||
1815年 | 文化12年 | ・杉田玄白が『蘭学事始』を著す。 | ||
1816年 | 文化13年 | |||
1817年 | 文化14年 | 仁孝天皇 | ||
1818年 | 文政元年 | ・イギリス人コンドルが浦賀に来て通商を求める。 ・伊能忠敬死去 | ||
1819年 | 文政2年 | |||
1820年 | 文政3年 | |||
1821年 | 文政4年 | ・伊能忠敬の『大日本沿海與地全図』が弟子達の手により完成する。 | ||
1822年 | 文政5年 | |||
1823年 | 文政6年 | ・ドイツ人シーボルトがオランダ商館付き医師として出島に来る。 | ||
1824年 | 文政7年 | ・シーボルトが長崎郊外の鳴滝に塾を開く。 | ||
1825年 | 文政8年 | ・幕府が異国船打ち払い令を出す。 | ||
1826年 | 文政9年 | |||
1827年 | 文政10年 | |||
1828年 | 文政11年 | ・シーボルト事件→ 幕府天文方高橋景保ほか多数が捕らえられる。 | ||
1829年 | 文政12年 | ・シーボルト、国外に追放される | ||
1830年 | 文政13年 天保元年 | |||
1831年 | 天保2年 | |||
1832年 | 天保3年 | |||
1833年 | 天保4年 | ・天保の大飢饉(~1839年) | ||
1834年 | 天保5年 | ・水野忠邦、老中となる。 ・安藤広重の「東海道五十三次」の浮世絵ができる。 | ||
1835年 | 天保6年 | |||
1836年 | 天保7年 | |||
1837年 | 天保8年 | 家慶 | ・大塩平八郎の乱 ・モリソン号事件→ アメリカ船モリソン号が浦賀に来て砲撃される。 | |
1838年 | 天保9年 | |||
1839年 | 天保10年 | ・蛮社の獄→ 渡邉崋山、高野長英らが処罰される。 | ||
1840年 | 天保11年 | ・清でアヘン戦争が勃発する | ||
1841年 | 天保12年 | ・水野忠邦、天保の改革を始める(~1843年) | ||
1842年 | 天保13年 | |||
1843年 | 天保14年 | ・老中水野忠邦が罷免される。 ・阿部正弘、老中になる | ||
1844年 | 弘化元年 | ・オランダの軍艦が長崎に来て開国を勧める国書を届ける。 | ||
1845年 | 弘化2年 | |||
1846年 | 弘化3年 | 孝明天皇 | ・イギリス船・フランス軍艦が琉球に来る。 ・アメリカ東インド艦隊司令長官ピッドルが浦賀に来て国交を求める。 | |
1847年 | 弘化4年 | |||
1848年 | 嘉永元年 | |||
1849年 | 嘉永2年 | |||
1850年 | 嘉永3年 | |||
1851年 | 嘉永4年 | |||
1852年 | 嘉永5年 | |||
1853年 | 嘉永6年 | 家定 | ・ペリーが浦賀に来航する。 ・ロシア使節プチャーチンが長崎に来航。 | |
1854年 | 嘉永7年 安政元年 | ・日米和親条約締結 →下田と箱館を開港。(鎖国終了)治外法権を認める等日本側に不利な条約 ・日英和親条約締結 ・日露和親条約締結 | ||
1855年 | 安政2年 | ・日蘭和親条約締結 ・日仏和親条約締結 ・安政江戸地震発生 | ||
1856年 | 安政3年 | ・アメリカ総領事ハリスが下田に着任。 ・吉田松陰が松下村塾を開く。 | ||
1857年 | 安政4年 | |||
1858年 | 安政5年 | 家茂 | ・井伊直弼、大老になる。 ・日米修好通商条約調印 ・安政の大獄(~1859) →吉田松陰、橋本左内らが井伊直弼により処刑される。 | |
1859年 | 安政6年 | |||
1860年 | 安政7年 万延元年 | ・桜田門外の変 →水戸の脱藩藩士らが井伊直弼を暗殺 | ||
1861年 | 文久元年 | ・アメリカ総領事通訳ヒュースケンが暗殺される | ||
1862年 | 文久2年 | ・生麦事件 →薩英戦争の引き金となる ・坂下門外の変→尊攘派の水戸浪士が老中安藤信正を襲撃した事件 | ||
1863年 | 文久3年 | ・下関事件 → 長州藩がアメリカ/フランス/オランダの船を砲撃する ・高杉晋作、奇兵隊を創設する ・薩英戦争 ・近藤勇らが新撰組を作る。 | ||
1864年 | 文久4年 元治元年 | ・池田屋事件 ・禁門の変 ・第一次長州征討 ・四国連合艦隊下関砲撃事件 | ||
1865年 | 元治2年 慶応元年 | |||
1866年 | 慶応2年 | 慶喜 | ・薩長秘密同盟 ・第二次長州征討 | |
1867年 | 慶応3年 | 明治天皇 | ・坂本龍馬が船中八策を作る ・土佐藩が徳川慶喜に大政奉還を建白する ・大政奉還→政治を行う役割を朝廷に返還。 ・近江屋事件→坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺される ・王政復古の大号令を発する | |
1868年 | 慶応4年 明治元年 | ・戊辰戦争(~1869年)→新政府軍 対 幕府軍 |
将軍・天皇・年号・出来事がすべてわかる年表を紹介しました。 覚えた日本史の人物や出来事を整理したり、流れを確認したりするのに便利だと思いますので、ぜひ活用してください。
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