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戦国時代の流れ|コンパクトにまとめた要点 – 小学・中学の歴史

戦国時代の流れ|コンパクトにまとめた要点 – 小学・中学の地理日本史 - 中学受験
戦国時代の流れ|コンパクトにまとめた要点 – 小学・中学の地理
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戦国時代になると大名たちが自国の領土拡大、あるいは天下統一を目的に、各地で戦争を繰り返すようになりました。

 

下剋上といわれるように、身分が低かったとしても能力があれば一国一城の主になれるばかりでなく、全国をその手におさめることもできたのです。

 

室町幕府の弱体化をきっかけに、各地に小国ができあがり、そこから自国の領土をおさめる戦国大名たちが誕生しました。戦国大名たちが競い合った戦乱の世は130年も続いたのです。そして、江戸幕府ができて平和になるまでを戦国時代とよんでいます。

 

ここでは、戦国時代についてわかりやすく説明します。

 

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■室町時代から安土桃山時代へ~織田信長が天下統一を目指す~

室町時代後期の1467年にはじまった応仁の乱は11年間も続きました。これは、将軍家の後継者問題であったり、細川勝元と山名宗全の対立であったり、さまざまな要因が絡んでいるものです。

 

この応仁の乱によって室町幕府が弱体化すると、全国で力による領土の奪い合いがはじまりました。いくつもの小国ができましたが、さらに力を持っている者は領土を拡大していき、一国を治める戦国大名として存在感をみせるようになったのです。

 

1543年に種子島へ伝来した鉄砲も、戦国時代に変化をもたらすきっかけになりました。種子島の領主が種子島へ漂着したポルトガル船から買い取ったのです。種子島ではポルトガルの鉄砲をもとに自分たちで製造しました。これを種子島銃といい、合戦へと取り入れられるようになっていきました。

 

イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を広めるために日本へ上陸したのは1549年のことです。キリスト教信者となったキリシタン大名もいます。さらに、この頃からスペイン・ポルトガルと貿易をするようになりました。これを南蛮貿易といいます。

 

戦国大名としてまっさきに天下統一へ近付いたのが、尾張の大名・織田信長です。1560年の桶狭間の戦いに勝利したことで有名になります。1573年には室町幕府の15代将軍・足利義照を京都から追放して室町幕府を滅亡させました。さらに1575年の長篠の戦いでは、実践で初めて鉄砲を取り入れて勝利します。室町幕府の滅亡から安土桃山時代がはじまり、織田信長の天下も目前でした。

■安土桃山時代~豊臣秀吉が天下統一を実現~

琵琶湖のほとりにあった安土城は、天下の名城として名高いものでした。安土城を居城とした織田信長は、楽市楽座という政策を打ち出します。城下町の商工業を活発にするため、これまでの規制を緩和して、誰でも商売をはじめられるようにしたのです。また、当時は各国の出入りも制限されていましたが、関所を廃止して人々が自由に往来できるようになりました。

 

しかし、キリスト教を保護することで、仏教勢力と対立するようになった織田信長は、天台宗の総本山・比叡山延暦寺を焼き討ちにしたり、浄土真宗・本願寺の僧侶たちと石山合戦をしたりしました。

 

天下統一を目前とする織田信長ですが、1582年の本能寺の変で自害(自殺)に追い込まれます。家臣の明智光秀の謀反(裏切り)によって、滞在していた本能寺で襲撃されたのです。

 

織田信長の家臣である羽柴秀吉は、すぐさま謀反を起こした明智光秀を倒しました。そして、織田信長の権力を引き継ぐことになったのです。

 

支配地の田畑の面積にもとづいて、農民が税(年貢)をいくら支払うのか調査することを「検地」といいます。当時、検地には基準がなかったので、各国のやり方で行われていました。全国で統一した検地を実施するため、田畑の面積と収穫高から「石高」という単位で納税金額を割り出す方法が考えられました。これが太閤検地です。

 

朝廷で関白という地位となった羽柴秀吉は、1586年に太政大臣になったときに「豊臣」という名字を与えられたので、豊臣秀吉と名乗るようになりました。

 

この頃は、農民が武器を所有していることも珍しくありませんでしたが、京都の方広寺に大仏を作るのに鉄が必要だからと、刀なり鉄砲なりの鉄を農民から取り上げました。この刀狩令は農民による反乱を防ぐことが目的だったともいわれています。

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